宮崎駿からプロとは何かを考えた

見逃していた「プロフェッショナル 仕事の流儀」の宮崎駿スペシャルをYouTubeで観る。前半だけだったけど、再放送がまだ決まらないみたいなんで我慢。


宮崎駿さんは、毎度インタビューではひねくれ発言が多いし、番組でも触れているようにテレビ嫌いってことらしいけど、今回はこんなに素直にプロフェッショナルなおっさんもなかなかいないんじゃないかと感じた。

普段の生活はもちろん知らないけど、一度制作に入ると何かを創作する時の生みの苦しみってやつが、日常生活の中に素直に溶け込んでいて、それが観ている人に伝わってくる。

大抵の人は、肉体労働が伴わないような知識生産型の労働、例えばプログラミングであったり、の場合に、宮崎駿のように日常に溶け込ませて生みの苦しみってのを表現できないんじゃないかと思った。

というのも、肉体労働は体を動かす分、何をするにも大変そうな空気は伝わるけれど、知識生産型の労働は、何を考えているのかは客観的になかなか見えないため、人に伝えるのが難しい面があると考えてる。(それに加えて、プログラミングって、こんなの自分がやりたいことじゃねーやら、めんどくせーやら、ネガティブな要素はビシビシと伝わってしまう)

その生みの苦しみっていうのが、日常に溶け込んでいて、それが客観的に伝わる、伝えることができるっていうのは、真剣に取り組んでいるからであり、終わりがない何かを作り出すという作業を日常に自ら溶け込ませているからであり、それがプロである。


プロってこういうもんなんじゃないだろうか、評価する方もされる方も。